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弥生〜大和時代 |
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111 景行四一 日本武尊東征の帰路この地を過ぎ「吾が足、三重の勾りなしていたく 疲れたり」と古事記 123 景行五三 宇賀諸雄柳を折りて御杖を献ず。御杖老翁の名を賂わる(辻氏系図) 尊この杖をつきて登られ坂を「杖つき坂」と云う 御杖老翁長子兄彦天皇ご巡幸の際菅笠三十を献ず 杖突の長となり次子弟彦は白鳥陵守に任ぜられ武部の首となり雉子 尾の名を賜わる 当時日永方面の陸地が帯び海面下に没した 168 成務三八 日の宮社創建(加冨社) 231 応神三一 由良木塩一籠を賜わる。これを三重村に頒つ。 463 七雄略 小葭采女となりて宮中に入る 604 推古十六 賀邑夫小野妹子に従い隋に渡り十七年九月帰る 669 天智三 磯臣(賀邑夫の−子)日の宮を萩山に移す。妹磯世采女となる。 672 弘文元 馬手(天武天皇…大海人の皇子)に従い伊勢に入り自宅を焼きて寒兵 を温める。 |
奈良時代 |
727 聖武四 藤原次郎正資小野浦にて霊木を得る.小古曽観音寺の尊像となる。 731 称徳十三 馬手の子前杵 田十二町開墾、長男「小松」に与える.「現小松の起り」 766 称徳二 九月十五日百姓に勧めて大軍小麦を植しむ |
平安時代 |
850 仁明一八 貝家、土師宿弥、岸次 寺山に成保寺創建(現上品寺) 905 醍醐五 小古曽神社、延喜式神名帳に記載される。 1047 後冷泉三 願音寺と成満寺(長生寺)創建 1059 後冷泉一五 豊後四郎後藤正通萩山に築城す 1070 後三条 三 真観寺を采女古市場に創建開山貫徹? 1181 後鳥羽 五 小古曽願誓寺創建 |
鎌倉時代 |
1188 堀河二 采女八幡社創建 1239 四条五 延応元年采女七郷の境界を定める 1260 後嵯峨一七 後藤基秀、采女郷の地頭となり字野部山(采女山)に城を築く |
南北朝時代 |
1336 後醍醐一九 延元元年貝家円徳山上品寺(土民寺山成保寺跡から釈迦仏像を得て 再興す 1337 延元二 辻嘉兵衛尚光、楠正成忙従い湊川忙て戦死 1349 後村山九 正平四年尚光の子尚元、楠木正行に従い四条畷にて戦死 |
室町時代 |
1457 長禄元 貝象上品寺、親驚聖人十世真慧上人忙帰依真宗に転ず 1462 御花園三五 寛正二年北小松月見山中山寺創建、真意上人開基 この頃小古曽大蓮寺、願曹寺、渡木了信寺何ずれも真意上人に帰依 し、真宗に転ず 1500 後柏原元 北小松中山寺、真意上人より門額を賜わる 1510 御柏原一一 永正七年采女村の古市場、真観寺を杖つき坂に遷す 1536 御奈良一一 天文五年後藤元綱、火の宮の社殿造営 1557 正親町一 元亀元年後藤藤勝、火の宮社殿造営 この頃藤勝は真宗に帰依し、長成寺を采女移して氏寺を成満寺とした。 |
安土桃山時代 |
1574 正親町一八 天正二年?後藤采女正は織田信長により落城 1575 正親町一九 小古曽神社御遷宮 1585 正親町二九 天正十三年十一月二十九日大地震起る 伊勢の海に津波来る |
江戸時代 |
1604 御陽成一九 慶長九年采女字春雨に一里塚を定む 1624 御水尾一四 寛永年間東海道に松並木 1679 霊元一七 延宝七年波木多田道貞了信寺再興する 1707 東山二一 大地震富士山噴火(宝永山) 1716 中御門八 享保元年中山寺経蔵本山より下賜 1736 中御門一九 貝家上品寺釈迦堂建立 1736 桜町二 小古曽黄壁山観音寺創建鎮堂和尚 1742 桜町八 小台曾横井川開さく工事に着手三谷新太郎 1756 桃園一〇 「歩行ならば杖つき坂を落馬かな」芭蕉杖つき敦の稗(村田鵤州)建立 1840 仁孝 小古曽横井川竣工(河村源十郎) 1854 孝明 安政元年六月十五日大地震・・・東海一円 |
明治時代 |
1867 明治元 小古曽神社明治天皇御東幸御幣帛料賜う 1871 明治四 小松宮彰仁親王殿下戌辰の役凱旋の途上、河村古遷宅へお小休みを 賜わりお墨付と拝領の品四点を賜わる。いずれ も現存 1871 明治四 安濃津県の所管となる 1874 明治七 人民共立学校創立 字大日に校舎新築 1876 明治八・九 伊勢暴動起る 1876 明治九 昭憲皇后陛下御西幸の砌河村古遷奥書院にお小休みを賜わり古遷和 歌を詠進する. 1877 明治一〇 英昭皇太后御西幸の砌河村古遷奥書院に忙お小休みを賜わり古遷和 歌を詠進する 1877 明治一〇 英昭皇太后御東幸の砌河村古遷奥書院にお小休みを賜わり古遷和歌 を詠進する 1882 明治一五 上品寺御堂落慶法要 1883 明治一六 内部小学校と改称 1887 明治二〇 小古曽組合立(内部・河原田・楠・日永・四郷)良田高等小学校開校 1889 明治二二 町村制実施に伴い内部村となる。 また内部尋常小学校と改称(四年 制) 1892 明治二五 大字小古曽を加えて一村一枚となり校舎増築される 1895 明治二八 関西鉄道株式会社 四日市〜名古屋間開通 1909 明治四二 神社合祀令示達により采女・兵家・北小松の神社は加冨神社に合祀 1909 明治四二 高等科併置、内部尋常高等小学校と改称する 現在に位置に校舎新 築 |
大正時代 |
1914 大正三 電灯つく 耕地整理開始(采女、貝家、北小松、南小松)大正九年完成 1920 大正九 大水起る 古市場で一戸流失 三重鉄道 内部駅開通 1923 大正一二 九月一日 関東大震災 1924 大正一三 ラヂオ放送開始 1926 大正一五 采女八幡杜分祀造営 |
昭和時代 |
1927 昭和二 昭和坂開通…定期バス四日市〜和無田開通 1929 昭和四 内部村役場に電話開通 1936 昭和一一 四日市大博覧会 1938 昭和一三 海軍燃料廠住宅地造成着工 1943 昭和一八 内部村四日市に合併される。小松神社造営 1944 昭和一九 東海大地震 1947 昭和二二 四日市市立南中学校創立 1948 昭和二二〜三農地法創設 預金封鎖 1951 昭和二六 国道1号開通 1957 昭和三二 三菱油化工場建設に伴ない社宅建設 1966 昭和四一 四日市測候所開設(1998年(平成10年)に閉鎖) 1954 昭和五四 内部幼稚園を小学校に併設 1957 昭和三二 南小松町が四日市に合併。内部小学校下に入る。 1959 昭和三四 伊勢湾台風被害甚大 1960 昭和三五 内部幼稚園新築 1973 昭和四八 名四国道バイパス開通 1974 昭和四九 内部小学校百周年創立記念行事行われる 1983 昭和五八 小松橋開通 1984 昭和五九 内部東小学校分離独立 1985 昭和六〇 内部中学校新設される |