ヤマザクラ (山桜)     ばら科
2010年4月4日

 日本の文化と日本人の精神風土に深く関わってきたサクラは、万葉の時代から親しまれて来たかというと、どうもその様ではなく、万葉集には梅を詠んだ歌は100首を越えるのにサクラは40首ほどでしかありません。多分、外来の珍しい花木が珍重され、在来種のサクラの仲間は目立たない存在だったのかと思われます。それが、新古今集で100首を越えて詠まれる様になったのは、平安王朝人が如何にサクラに魅力を感じたかの査証ではないでしょうか。

 ところで今、サクラと一括りにして呼んでいますが、日本在来のサクラはどのくらいあるのでしょう。植物図鑑を開いてみますと、サクラ節に分類される種は、チョウジザクラ、マメザクラ、エドヒガン、ミネザクラ、オオシマザクラ、オオヤマザクラ、ヤマザクラ、カスミザクラ、の9種が挙げられています。其の中で私たちに馴染みが深いのは、ヤマザクラ、オオヤマザクラでしょう。新緑の山肌に、霞むような白に僅かに紅を差した山桜は一人を楽しむ隠者の風格があります。此の項にヤマザクラを取り上げた所以です。 西行法師が詠んだ「願わくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」の花はきっと、ヤマザクラであったと信じています。本居宣長は朝日に匂うヤマザクラに物の憐れを感じています。此れが日本人の心象風景ではないでしょうか。

 サクラにも不運な時代がありました大正、昭和にかけてサクラ吹雪のイメージを「散華」という言葉と共に、軍国主義に結び付けられて其の象徴とさせられたのです。其の為に多くの若者が死んでゆきました。桜の罪ではないのですが。

 ソメイヨシノという園芸品種は江戸末期、染井村の植木屋さんが作り出したものと言われ、繁殖が楽で花が沢山付き、満開の時はそれこそ「花の雲」という形容がぴったりで見栄えがしますから全国に広まりました。  サクラは各地に名木があり、根尾の薄墨桜、宮村の臥竜桜、京都丸山の枝垂れ桜、大宇多の又平衛桜、などが有ります。

 桜は花を愛でるだけではありません。オオシマザクラの葉はさくら餅をくるむのに使います。オオヤマザクラの皮は曲げ物を綴ったり細工物に使ったりします。サクラ材は、建築材としてまた木版の版木としても最高のものです。
(上の小さい写真名は矢矧端のたもとに咲くソメイヨシノ、旧堤防の撤去工事でこの桜も今年で見納めとなることでしょう)


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