ウメ  (梅)           ばら科
2010年1月19日


 中国原産のウメは「万葉集」に歌われるくらいですから、随分昔に日本へ渡来したものでしょう。「万葉集」には沢山の植物が歌われていますが、一番多いのがウメで118首、次に多いのが松で、サクラの出現は少ないようです。そのウメもすべて白梅で其の清冽な香りを讃えたものが多いが、平安時代になると紅梅が愛でられるようになり、以後色々な園芸品が出来て、いまでは其の数300種にも及ぶそうです。

 ウメは昔から花もさることながら、実を食用とし「梅干」は日本人の食卓に欠かせない一品となっています。「烏梅」として薬用にし,媒染剤として利用価値が高く貴重な植物として栽培されていました。

 梅の名所は全国に数多くありますが梅の渡来地として大宰府、それから水戸、熱海、も有名です。近くでは三方五湖、月ヶ瀬では実の収穫を目的にしていたようですが近頃は観光にも一役買っています。

 ウメの語源は、牧野図鑑によると三説有って一つは「烏梅」,薫べ梅のことで乾燥品を薬用にするものであり、一つは梅の漢音のmuiまたはmeiの転訛であり、今一つは朝鮮語のマイに由来したものであると言う解説があります。 いずれにしても、春寒を凌いで咲き出るウメはサクラと共に日本の花木の代表として相応しいものでしょう。

 芭蕉翁は梅の句を幾つか残されました、其の1つ2つを紹介します。

    うめ梅わかな若菜まりこのしゅく宿のとろゝ汁 
       (元禄4年大津の門人乙州の江戸くだりに送った句) 
    むめがゝにのつと日の出る山路かな 
       (表現の面白さで当時から評判になった)
    香にゝほへうにほる岡の梅のはな 
       (悪臭のする亜炭鉱山の岡に咲く梅に寄せて)


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