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5月24日(金)采女城跡保存会総会の後、四日市市博物館学芸員広瀬毅氏による「歴史街道・采女城」と題した歴史講演会がありました。
広瀬氏は、東海道をテーマとした講演をこれまで地区市民センターや町かど博物館で何度か行っていますが、采女城は初めてとあって変わった切り口から話をされました。
氏は最初に采女城跡の廓の配置図を掲げ、予備知識なしにこれを眺めると城の入り口は西側の波木町方面ではないかいう印象をもったこと。現在石碑や案内看板が立てられている南側にある城の入り口は後世の人が決めたものではないかという仮説を抱いた。そしてこの仮説を立証すべく様々な資料をあたり、論拠となるものを探索し、特に詳しく話されたのは古代東海道でした。
「城ができたとされる鎌倉時代ごろまでは近世東海道が通るあたりは湿地であって、古代東海道は今の貝家・波木を通っていたと思われる。これは、海山道神社がミヤマドスザキハマグウとよばれることから海に浮かぶ中州にあったことと、神社付近の道や家の並びが複雑に入り組んでいて他と明らかに異なること、さらに白髭神社には船着明神という名の祠が祀られていることから推定できる。
また古代東海道を貝家・波木ルートとすると、その延長線上に日本武尊の伝承地である御館足洗池があり、さらにそこから久留倍官衙遺跡に到るルートが考えられる。」
氏はグーグルマップを自在に操って、これらの地形や位置関係を大変わかりやすく説明されました。 采女城の入り口についての疑問から古代東海道に広がる話は、博学な広瀬氏ならではの壮大な、新しい視点を示唆された大変興味深い講演でした。
(2019年5月24日 采女城跡保存会から情報提供がありました)
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