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歴史講演会
発掘調査された戦国期の城郭について」


 5月20日(土)采女城跡保存会主催が主催して、三重県史編集委員の駒田利治氏による歴史講演会が開かれ、約25名が参加しました。

 講師の駒田先生はこれまでにも2回講演されておられ、今回は「発掘調査された戦国期の城郭について」と題して、特に戦国期の城郭について、発掘調査から明らかとなった特徴等大略以下のようなお話がありました。

 応仁の乱(応仁元年1467)から織田信長が足利義明を奉じて上洛した永禄十一年(1568)までとされる戦国期が終わり、その後の織豊期といわれる信長・秀吉の時代に移る頃から城の形は大きな変化が起きています。大きな特徴は土塁から石垣へ、掘立柱から礎石へ、板葺きから瓦へ、天守閣が造られたことなどで、これらは信長が尾張から美濃にかけて次々に城を築き、最後に壮大な安土城を築いていった間に形が定まってきています。

 北伊勢で発掘された事例として、員弁郡東員町の山田城跡、いなべ市大安町の丹生川上城跡、亀山市正法寺山荘跡などに見られる掘立柱と礎石の混在した建物跡、四日市市伊坂町の伊坂城跡で確認された土塁と組み合わせた櫓門跡、熊野市紀和町の赤木城跡の石垣、県内最初の天守があったと推定される松阪市松ヶ島町の松ヶ島城跡などについて、図版と写真を使って分かりやすく説明していただきました。

 これらの城は、戦国期末期から織豊期にかけての戦の影響を受けて、何度も手が加えられ、堅固なものへと改築された様子がうかがわれます。同じことが采女城跡についても行われ、それにより県下有数の遺跡としてはっきりとした遺構が残ることになった要因ではないかと話されました。

(2017年5月20日 社協広報部が取材しました)




 
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