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旧内部村役場・旧内部橋の写真掲示

 年配の人には懐かしい旧内部村役場と旧内部橋の写真が内部地区市民センター会議室に掲示されています。この2件は昔の内部のシンボル的な建造物であることから、うつべ町かど博物館がA1サイズにプリントして、内部地区センターに掲示させてもらっています。


旧三重縣三重郡内部村役塲 (大正7年頃~昭和47年)

























  内部橋南詰めの東海道沿いに建てられたこの役場は、現存する鬼がわらに「大正7年古市作」の名が刻まれていることから大正7(1918)~8年頃の建築と推定され、写真奥の内部橋から手前右方向の杖衝坂に向かう東海道には松並木が残っています。
 内部村は明治22年(1889)波木・貝家・采女・北小松・小古曾の5か村が合併して成立し、昭和18年(1943)四日市市に合併するまで続きました。合併後は四日市市出張所となり、建物は昭和47年(1972)内部地区市民センターとして現在の位置に移るまで使われました。当時のものとしては看板、玄関の鬼瓦、破風飾りと石の門が残っています。石の門は短く切って現在の地区市民センター入口に立てられていて、看板他はうつべ町かど博物館に展示されています。



旧内部橋 (昭和26年~昭和49年)




























 戦前から戦後にかけて東海道の内部橋は現内部橋の上流約50mのところに架かり、未だ木造でした。昭和25年(1950)から26年にかけて国道1号線の追分から昭和坂までの2,572mが改築され、新しくできた新道に内部橋(長さ66m、幅7.5mの鉄筋コンクリート製)が架けられました。昭和25年10月17日に着工し、翌26年3月31日に完成しています。
 その後急速なモータリゼーションと共に交通量が増え、22年後の昭和47年(1972)から49年(1974)にかけて現在の橋(長さ98m)に架け替えられ、更に平成23年(2011)には右折れレーンの設置と桁工事や床板打替えの改修工事が行われています。

(2014年12月16日 うつべ町かど博物館より情報提供がありました)

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