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菱が丘町自治会が50余年の活動に幕


 三菱化学小古曽社宅は平成24年9月末を持って閉鎖されることとなり、これに伴い菱が丘町自治会の名称で53年の長きにわたり内部地区の一員として活動されてきた自治会も平成24年3月末をもって解散されることになりました。菱が丘町自治会では残っている資金の扱いについて検討した結果、内部地区社会福祉協議会に寄贈することになり3月19日(月)贈呈式がありました。

国道1号線から三菱化学小古曽社宅への入口



 内部地区市民センター会議室において地区市民センター濱田館長立ち会いの下、菱が丘町自治会宮内会長より内部地区社会福祉協議会木田冨喜ニ会長に金543,983円が手渡されました。木田会長は「永い間内部地区の発展にご協力を頂きありがとうございました。頂いたお金は一般会計とは別に、地域発展のために有効に使わさせていただきます」とのお礼の言葉がありました。

  なお、菱が丘町宮内自治会長、社協木田会長から菱が丘に係わる情報を提供していただき、「菱が丘住宅地の歴史」として以下にまとめました。

  菱が丘社宅の歴史 
昭和12年(1937)
海軍省より用地の買収命令下る
昭和13年(1938) 第二海軍燃料廠住宅建設準備始まる
昭和14年(1939)~ 用地買収に着手 現在の前田町、東原町、中堀町、高塚町、菱が丘町の土地を買収、菱が丘町以外に住宅が建設された
現南中学校には兵舎、母子寮には兵員居住官舎が建設された
居住地の水資源確保のため山の手配水池を設置し、内部地区2か所、采女地区1カ所の井戸から水を集めた
用地買収はされたが菱が丘町の場所は建築されず、そのままの状態で放置
昭和27年ごろ(1952) 元地主への払い下げ請願
昭和28・9年ごろには元地主に返還された
  昭和30年(1955) 昭和石油への海軍燃料廠跡地払い下げ閣議決定
住宅跡地は三菱油化社宅用地として買収交渉が始まる
  昭和31年(1956) 三菱油化(現三菱化学)設立
  昭和33年(1958) 小古曽住宅の最初の棟が竣工
  昭和34年(1959) 三菱油化四日市事業所操業開始
  平成24年(2012) 9月末をもって閉鎖

昭和35年ごろ三菱油化小古曽社宅の様子

昭和22年(1947年)米軍航空写真
中央の建物の立っていない白い部分が今の菱が丘町
現在の前田町から小古曽、采女まで

(2012年3月19日 社協広報部が取材しました)

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