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平成23年史跡めぐりバスツアー 田丸城探訪と伊勢神宮内宮参拝

本丸に続く幾重にも重なった石垣の上に天主台が見える
 1月19日(水)史跡めぐりバスツアーが行われ37名が参加しました。今年の史跡めぐりは伊勢平野の南、古来より陸上交通の要地に位置する玉城町のシンボル田丸城を探訪し、午後からは目前の伊勢まで足をのばし、伊勢神宮内宮に初詣する行程でした。

 玉城町は古来陸上交通の要地で、田辺(たぬい)の丘を通って大和を結ぶ初瀬街道と外城田(ときた)の丘を通って熊野へ向かう熊野街道(世界遺産熊野古道出立の地)が合して伊勢に向かう参宮街道となる街道分岐点があり、古来より交通の要所であったことがうかがえます。

  南北朝時代の築城以来、かつて玉丸城と呼ばれ、戦乱を経て明治維新まで続いた田丸城は明治に入って廃城、一時国有地となりましたが昭和三年郷土の名士村山龍平氏(旧田丸領士族、朝日新聞創始者)が払い下げを受け、これを旧田丸町に寄付、町は城山公園として開放しています。 城はいわゆる平山城の初期のものの一つであり、1952年(昭和27年)三重県史跡に指定され、石塁など昔日の面影を今に伝え絶えることなく現代につながる貴重な城跡です。

 現在は、城本体は残っていませんが、小高い丘に石垣が幾層にも組み合わされて標高55mの本丸まで続いています。天守台から眺める展望は絶景で、広大な田園風景が見渡す限りに広がり西に国境の局ケ岳山(1,029m)、東に朝熊山(555m)を一望できます。思いがけない眺望に皆さん感激していました。また花見の名所としても有名で、たくさんの人々の憩いの場となっているそうです。

 玉城町では「玉城語り部の会」から6名の方が村山龍平記念館と田丸城の案内をしていただきました。「語り部」の皆さんは平成10年に町の歴史講座を受講した方々が集まってつくられたボランティアガイドで30代から年配者まで現在22名がおられます。城跡は広々とのびやかで明るい雰囲気の中、石垣の間を縫うように登りながら、丁寧で分かりやすい説明をしていただき、一行はゆったりとした気持ちのよい時間を過ごすことができました。語り部の皆さん本当にありがとうございました。

 (2011年1月20日 采女城跡保存会より情報提供がありました)

田丸城大手門前堀に架かる橋右手には村山龍平記念館がある 外城田川の水を引き入れて巡らせた外堀すぐそばには町役場がある 富士見門、田丸城が廃城になったあと民間に払い下げられたが昭和59年に町が譲り受け移設した。富士見門は江戸中期のもので当時の原型をとどめている 本丸広場に続く野面積みの石垣、不揃いの石の間には小石が組み込まれている
田丸城址入口の碑 本丸広場は広く開けている。天守台は高さ4m、一辺18mの石垣でその上に天守閣があった 東は三の丸跡に建てられた玉城中学校、その向こうに玉城町の町並みが続き、遠くに朝熊山が見える 西は眼下に水田が広がり、遠くにはうっすらと奈良県境にある局ヶ岳が見える
旧三の丸御殿の奥書院部分、明治維新後払い下げられていたものを約130年ぶりに復元、村山龍平記念館に隣接して移築した 奥書院の説明は語り部の飯嶌さんから聞きました。奥は殿様が使った上段の間 朝日新聞の創始者村山龍平氏は玉城町出身、旧田丸藩の士分であった 村山龍平記念館は半分が玉城町郷土誌資料館で発掘遺物などが展示されている。教育委員会と図書室も同居していた
宇治橋を背景にみんなで記念撮影 おはらい横丁は平日にもかかわらず大勢の人であふれていました お伊勢さんといえば宇治橋の渡り初め 赤福本店では名物赤福の手作り実演をやっていました

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