歴史講演会が3月20日(金曜日・春分の日)内部地区市民センターで行われ、「北伊勢の城と采女城」と題して三重県立川越高校教諭 伊東徳也先生が講演されました。 この講演会は内部地区社協と采女城跡保存会が平成14年から共同で開催しており今年で7回目となります。 古文書や地誌、軍記物などの歴史資料に残る中世城館の数は鈴鹿市以北の北勢地方では201に上ります。講師の伊藤先生は高校教師の傍ら15年にわたり遺跡が判明している90か所を実地に調査し、2008年に「再発見 北伊勢国の城」と題して379ページの本にまとめ刊行されています。 先生のお話はすべてを一人で行ってこられた自分の体験に基づいたもので具体的で分かり易く、たいへん勉強になった講演会でした。 大要は下記のとおり。 ・北勢地方では有力な大名クラスの領主がいなかったことから城跡も小規模なも のがほとんど、領主といっても地侍クラスで村を支配する程度であったらしいがその実態はよく分からない。そのためにも、このままでは消滅してゆく恐れのあるこれらの城跡をできるだけ詳しく調査し記録に残しておこうと調査を始めた。 ・現地の調査のための装備(安全靴や帽子、皮手袋)や道具(磁石を貼り付けたバインダーと筆記用具、メジャー、ビニールテープ、クリノメーターなど)、またそれらを使う上での工夫、計測の仕方、記録の方法、図面のデータベース化など。 ・所在地についても昔と今とでは地名が変わってきているため特定が難しい。古文書や地誌、軍記物などの資料の調査、市民センターなどで古い小字名や地籍図を調べたり、終戦直後に米軍が写した航空写真の活用したり、それを立体視する方法のアイディアなど、苦労やご自身の工夫。 ・内部川沿いの城は北勢の他の流域(員弁川・朝明川)と比べて分布密度が低く城も小さい。采女城はその中では大きく、廓のつなぎ方に他にない特徴がある。 ・ 城跡は地域の歴史を知る重要な資料、城の位置や構造を知ることでその役割や地域との 関係を推測することができる、そのためにも後世に残す必要がある。保存のあり方として、何のために、どのように活用するかという目的に見合った整備する必要がある。 この様子はCTYでもその日のニュースとして、また伊勢新聞でも報道されました。 (2009年3月21日 采女城跡保存会から情報提供がありました)
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