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歴史を訪ねるバスツアー
伊賀に円山城址と上野城を訪ねて

 内部地区社協と采女城跡保存会が共催する今年度の歴史を訪ねるバスツアーは伊賀盆地に円山城跡と伊賀上野城を訪れました。
高さ15間(約30m)の高石垣。角石はいまだに堅牢で美しいスロープを描いている。
 北東部を鈴鹿山系、南西部は大和高原、南東部を布引山系に囲まれた東西15km、南北20kmの伊賀盆地は飛鳥・大和朝の頃より、大和から東方へ通ずる交通の要衝の地であり、南北朝動乱期から室町、戦国時代にかけては多くの地侍・土豪が割拠し三重県下1千余にのぼる城跡のうち半数は伊賀地方にあるといわれるほど多くの城跡が残されています。

 最初に訪れた円山城跡は伊賀市の南、木津川沿いに走る伊賀鉄道円山駅東方の小高い丘に位置しています。戦国末期の織田勢力と伊賀の郷士との戦いの舞台となったが徳川の時代になるまでには廃城となっていた模様。城跡は采女城跡の2~3倍の規模で、天主台をはじめとして郭跡の遺構もはっきりと残っています。
  途中で挨拶した人が偶然にも地区の区会長さんでこの城跡の保存を進めている坂井さんとおっしゃる方、親切にも城跡への案内と解説をしていただきました(ありがとうございました)。 ここでも、われわれの采女城保存会と同じような「穂杉里を守る会」という団体を作って活動しておられ、登山道と郭周辺は立木が伐採され下草もきれいに刈られていていました。

  円山城から約4km北に位置する伊賀上野城は、藤堂高虎が縄張りした優美な姿で白鳳城として名高く、高さ30mの高石垣は築城当時の姿をとどめる日本有数の高さを誇っています。現在の天主閣は高虎が築いた基台に、昭和10年に三層三重の大天守、外壁は純日本式土蔵の木造建築を再建したもので、内部は郷土資料館として高虎が豊臣秀吉から拝領した兜を始め藤堂藩ゆかりの歴史資料などが展示されていました。

木にとまっているのは信楽名物の狸。称して陶芸村のたぬ木  好天に恵まれた今回のバスツアーの参加者は37名、上野東インターで名阪国道を降り、最初に伊賀組み紐センターの見学からスタートして、今回のメインである円山城跡と上野城の二つのお城を訪ねて戦国の世のいくさに思いをはせ、城内にある俳聖殿も見学、その後城下町ならではの由緒ある和菓子を求めて市内を散策(20軒のお菓子屋さんが参加するお菓子街道クーポン券を利用)、さらに帰り道は北上して信楽陶芸村にも立ち寄り「たぬ木」にびっくり、たいへん盛りだくさんの日帰り旅行を楽しみました。

(2009年3月20日 采女城跡保存会より情報提供がありました)

円山城跡       
円山の北を流れる比自岐川(枅川)を渡って城跡登山口へ ヒノキの植林の中を
いきなり急な登りが続きます
広い主郭の中に高さ約5mの天主台があります。周りはきれいに整備されていました。 南から見た円山城跡
上野城       
藤堂高虎が豊臣方との合戦に備えて築いた 深い堀と高い石垣 東西135間、南北139間という広大な本丸の中央にそびえる三層の天守閣  広々とした天主最上層
格子天井には天守閣復興を祝う 著名人の大色紙(1m角)
 天主から見た一望の市街地

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